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ピンクのらくがき

生存報告・制作記・熱い叫び・イラスト……など、観月の悲喜こもごもを書き(描き)散らす場所。

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その信頼は「死ね!」という下種の言葉から始まった

  1. 2011.
  2. 05.
  3. 26
  4. (Thu)
  5. 10:35
 今日は、とても大切なことを語りたい。
 中学時代の恩師のこと。

 恩師は、生徒に向かって「死ね!」と言う人だった。

     ◇ ◇ ◇

 この内容を不快に感じる方は、直ちに読むのをやめてください。
 ですが、できればたくさんの方に『知って』もらいたいので、長文でも追記に伏せることは『あえて』しません。
 ご理解を。

     ◇ ◇ ◇

 先週、ツイッターで大変興味深い話題がありました。

 元国語教師で「五体不満足」の著者として有名な、乙武洋匡氏と、
広告・マーケティングの専門家、高広伯彦氏で交わされたツイートです。

--------------

高広氏>
 人に「なんでその企画なの?」「なんでそのデザインなの?」と言われたときに必死になって応えようとする若者は、まだまだ伸びる余地あるよね。「なんとなく」とか、説明できないとか、論外。一回死んでよし。

乙武氏>
「死んでよし」とか平気で使うほうが論外。

高広氏>
 つかさ、業界の話、業界の文脈で話してるのに、言葉尻とりあげて色々言われてもねw
 キツイ言葉をつかうときは考えた上でその言語を使ってて意味をこめてんだけどな。

乙武氏>
「言葉尻だけを捉えている」「表面的にしか見ていない」――そういう意見もあるようだけど、僕はその伝えたい本質を包む手段として、「死んでいい」は絶対に使ってはいけない言葉だと思うのです。

高広氏>
 つか、「一回死んでよし」って、広告とか企画の仕事してる人間なら味わってる感覚だと思うけどね。

乙武氏>
 発言主さんのツイに「業界の話、業界の文脈で話してるのに、言葉尻とりあげて色々言われてもねw」とあったけど、もし「死んでよし」という言葉が平気で飛び交い、それが受け容れられる業界があるのだとしたら、それはすごく悲しいな。「業界外の人間」としてではなく、「同じ日本人」としてそう思う。

 ツイ主さんは「文脈を読んでほしい」と言う。「顔洗って出直してこい」――そんな激励の意味を込めた若者へのメッセージだということは、僕も理解しています。それでも、誰かを叱咤する言葉として「死んでよし」は絶対に使ってほしくない言葉。それが大人でも、子どもでも。

高広氏>
「一回死んでよし」、「いっぺん死んでこい!」とか言われたことない人って、どんだけヌクヌクした生き方してきたんだろう。なにくそっ!とかも思わないのかな、見返したる!とか。

(※注:この発言は飽くまでも広告業界での話。ほかの職種を対象として批判したものではありません。後に医療関係の方から受けた批判に、高広氏自ら「そのような環境での話ではありません」と明言しています)

乙武氏>
 上に立つ人間として、そんな下種な言葉でしか、若者を叱咤する手段がないのかな。
 僕は教師として、「一回死んでよし」「いっぺん死んでこい」なんて言葉を使わずに、「なにくそっ!」とか「見返したる!」という気概を子どもたちに抱かせてきた。
 悲しいな。

中略。

 ただ、誤解してほしくないのは、僕の発言は高広氏の人格を否定するものではないということ。
 育ってきた環境・文化が違うのでしょう。価値観が異なるのでしょう。
 僕自身、「みんなちがって、みんないい」と普段から言いながら、あまりに違和感かつ抵抗を感じる発言だったので、面識のない方にもかかわらずRT、発言させていただきました。
 それによって高広氏にご迷惑がかかったのなら、謹んでお詫びします。
 でも、僕はどんな業界、どんな文脈だろうと、やっぱり「死んでよし」なんて使う文化を認めたくない。たとえ、それがどんな激励の意を含んでいたとしても。

高広氏>
 迷惑ですよ。「死んでよし」だけで取り扱わないで欲しい。意図が違い過ぎる。
 でも僕は乙武さんには一度お会いしたいですよ。『五体不満足』以来、気になってる人なので。

乙武氏>
 高広氏の寛容なご発言、心より感謝いたします。

--------------

 高広氏の若手に対する激励「一回死んでよし」を、たまたま目にした乙武氏が批判し、互いのフォロワーを巻き込んでの論争が起きました。

 この話題に賛否両論。
 外野の反応は、乙武氏のほうにも批判は少なからずあったようです。
 が、傍から見ると、高広氏への「人に『死ね』なんて下劣な言葉を使うなんて!」的な批判が数多く寄せらたように思います。

 批判したのは、主に乙武氏のフォロワーさんとその周辺ですね。
 高広氏のフォロワーは、ある程度人となりを知ってフォローしていたので、おそらくいつものことだったのでしょう。

 観月は乙武氏をフォローしていたので、この論争をリアルタイムで見ていました。
 観月個人としては

「どっちの意見も正しいと思う」

 ……というのが率直な感想です。
 ただ高広氏の意見のほうが広く一般には理解されにくいだろう、と思いました。

「死」という言葉・概念は、それだけ万人に重くネガティブなイメージを与えるものだからです。

 じゃあ、激励の意味で「一回死んでよし」という言葉を使って良いかどうか?
 観月の答えは

「状況、場所、人との関係性を考慮したうえで、発言する本人の責任と覚悟と、相手への“愛”があって使うなら、別に良い」

 高広氏に対して『考えなしに軽々しく言った』『ツイッター上では不適切』『それで傷つく人の気持ちを考えてない』等の批判もあったようですが、観月はそうは思いません。
 高広氏には、考慮も責任も覚悟も愛も、全てあったと判断しました。
 氏の前後の発言をちゃんと読めば、それは容易に理解できます。

--------------

高広氏>
 自分のためだけに仕事してたら、死ぬ気で仕事、とかわかんないかもね。

 俺はこの業界が好きだし、今後も面白くあるために、魅力的であるために、この業界で死ぬ気だし、後継にも死ぬ気で仕事して欲しいんだよ。

 でないと後世に渡していけない。

 言葉を聞いてる人間、聞くであろう人間のことを考えての言葉の選択が大事なのであって、
Twitterといえども万人にみられる可能性があるからと言っても、
本来届けたい人以外のそれぞれの解釈にとやかく言われるスジあいはないと思う、

 というのが僕の回答。

--------------

「それでも『死んでこい』なんて人に絶対言っちゃいけない! 容認する人が信じられない!」

 では、なぜ観月が「別に良い」という答えを出したのか、その理由をお話ししましょう。


 中学時代に出逢った、私の大切な大切な恩師の話を。

     ◇ ◇ ◇

 恩師は、私が通う学校の国語教師 兼 演劇部の顧問でいらっしゃった。

 初めて会ったのは、中学入学して最初の国語の授業。
 頭に少しハゲのある、外見はいわゆる昔の漫画に出てくるようなカミナリオヤジ・頑固ジジイという感じの先生だった。
 問いを間違えた生徒に対して一言

「死ね!」

 ──なんや、この嫌な先生!(-_-メ)

 それが第一印象。

 いつもむっつりした顔で、叱るときは唾が飛ぶくらいの勢いで怒鳴り散らす。
 中学一年生だった私には本当に恐ろしくて、周りの生徒からも当然恐れられ嫌われていた。

 その先生の授業前は、予鈴が鳴る前から机の横で生徒が整列し、静まり返った教室でカツーン、カツーンと足音が近づいてくるのをビクビクしながら待っていた。
 数年前のドラマ「女王の教室」の鬼教師を地でいくような光景が普通にあった。

 生徒を躾けるために厳しくしている。
 まだ12歳の私でも、それは容易に理解できた。

 ──でも「死ね!」まで言わなくてもええやん。もっと別の言い方できんのかな。

 そんなことを思ったものだ。最初は。


 ほどなくして、演劇部に入部した。
 顧問がその嫌な国語教師だと知っていたけれど、それでも演劇をやりたかったから。

 演技指導もやっぱり厳しくて、震えるほど怖かった。
 でも、演劇部の上級生の方は、先生を大変敬っている様子。怖いからイヤイヤ従っているのではなく、心から慕っているように見えた。

 ──何でやろう?

 日を追うごとに、段々と、わかってきた。

 演技が上手く出来たとき「そう、ようやった!」と優しい笑顔で誉めてくれる。
 授業で全く見せたことない顔。
 怖いだけの先生だと思っていたから、初めて誉められたとき、「死ね!」と言われたときとは別の意味で衝撃だった。

 部活動のことで休み時間に職員室へ行ったときも、ごく普通に優しく接してくれる。
 授業や演技指導で見せる恐ろしさは微塵も感じられない。

 ──なんや、意外と普通のええ先生やん。


 印象が変わった後も、授業と演技指導は相変わらず厳しく、張りつめた緊張感がなくなることはなかった。
 けれど、自分の受け止め方は随分変わった。


 百人一首とその作者名を全て覚えるために、毎回授業で順番に一首ずつあてられ暗唱するという課題があった。
 観月はあてられて、歌は覚えていたが作者名がどうしても思い出せず、やはり容赦なく

「死ね!」

 その後、必死で覚えなおした作者名は二度と忘れなかった。
 もしも優しく

「次はちゃんと覚えてきなさいね」

 なんて言われていたら、覚えられなかったかもしれない。


 ……柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)でした。


「死ね!」という言い方にも、実はバリエーションがあった。

「コンクリに固められて海に沈んでしまえ!」
「セメントで固められて窒息死しろ!」

 他にも色々あったが、残念ながら覚えてない。
 よくもまあこれだけ思いつくものだ、と感心した。流石は国語教師。
 そうして一年が過ぎる頃には慣れてきて、むしろ次はどんな言い回しでくるのかと楽しむ余裕も生まれていた(笑)。

 ここで乙武氏の意見を抜粋。

--------------

乙武氏>
 そう、いつしか慣れてしまうんだよね。だから、使ってほしくないなあと思う。
 高広氏も、「自分は業界内に向けて発信したのであって、文脈を理解できない外部の人間に向けて発したわけではないのだから問題ない」とおっしゃっているけれど、結局はRTによって“業界外”の僕の目にも触れた。

 それと同じで、その業界で育った方は「死んでよし」という言葉に慣れ、いつしか職場だけでなく、家庭でもわが子にそんな言葉を吐く人がなかには出てくると思う。そうして育った子どもは――と連鎖していくと思うんだ。だから、「業界内だからOK」という考え方に、僕はあまり賛同できない。

--------------

 確かに「死ね」という言葉が、悪意を持って軽々しく使われるような世界になったら、観月だって悲しい。
 でも、一番多感な中学時代、恩師に「死ね!」と言われて育った私たちの学生生活は、そんな悲しい世界にはならなかった。

 たとえ言われ慣れても、「死ね」という言葉を誰かに軽々しく投げかけていいなんて思わなかったし、
「死」を軽んじているわけでもなかった。

 そもそもなぜ、その言葉を『軽々しく』言ったと思うのだろう。
 人が傷つく言葉だと知っているから、軽々しくなど絶対使わないものなのに。
 その言葉を言うのに、どれだけの神経を使うだろう、はらうだろう。

 観月ならばできない。
 たとえ通りすがりの他人でも、できれば嫌われたり憎まれたりしたくないもの。

 恩師は当時すでに60歳を過ぎていた。約40年の教師生活を、どんな葛藤の中で過ごしたのか。
 自分が生徒に憎まれることを少しも厭わずに、悪役を演じていたのだとしたら、
「死ね!」という言葉の裏側に隠された想いは

“愛”以外の何がある?


 恩師とのエピソードはこんなのもある。

 私が中学二年生のとき、中一と中二だけで行う演劇公演の演出監督になった。
 下級生と同級生で対立し、演出という立場上、両者をまとめるため板挟みになり一人苦しんでいたとき。
 恩師に相談しにいった。

「あんたは間違ってないよ」

 優しい笑顔で言ってくれた。

 涙がこぼれた。

 人は叩かれることで成長する。
 おそらくそれが、恩師の教育理念だろう。

 けれど、恩師はいついかなるときも「死ね!」と厳しく叩き落とすだけではなかった。
 一人で迷い、悩み、もがく生徒に、救いの手を差しのべる優しさも同時に持っていた。


 演劇部の上級生の方は、すでに知っていたんだ。
 恩師が、どれほどの情熱と愛を持って、生徒に接していたのか。
 それは私だけでなく同級生の部活仲間たちも、誰かにわざわざ教えられることなく自分で自然に感じとっていった。

 生徒に「死ね!」という一見最悪な先生を、演劇部員はいつの間にか当然のように慕っていた。

 それがどれほど難しく、すごいことか想像できるだろうか?
 人が絶対傷つくような嫌われる言葉を発していながら、それでも慕われる。


 高広氏は、すでに信頼ができあがっていて、自分の言葉を正しい意図で受け止められる者だけに
「いっぺん死んでこい」という言葉を使う、と。
 それは正しいし、嫌がる相手には使わない、という思いやりも持ち合わせている。

 だが、恩師の場合は信頼も何もないところから、いきなり「死ね!」というのだ。
 生徒全員に平等に。

 観月はそれもまた正しいと思う。

「死ね」は誰でも投げかけられれば嫌な言葉だ。
 信頼関係のない状態で言われたら尚更、良い方に受け止めるのは難しいだろう。
 恩師の場合は平等に言わなければ、ただの差別になる。

 しかしよくよく考えれば、学校側の判断もすごい。

 学校側は恩師の教育方針を認めていた。
 認めていたからこそ、中学一年生の国語の授業を担当させていたのだ。
 入学したての生徒を、まず恩師の厳しさで躾けるために。


「でも、厳しく躾けるなら他の表現を使えばいい」

 それも一つのやり方として正しいと思う。
 それは「なるべく傷つけない」やり方として。
 恩師のやり方は「あえて傷つける」やり方だった。

 罵倒される痛みを知らずして、その痛みを真に理解できるだろうか?

 口で優しく教え説くことは確かに可能だ。
 しかしいくら言葉を尽くしても、他人の痛みを自分で感じることは不可能だ。

 恩師のことを嫌ったまま、傷ついたままの生徒もいただろう。
 だが、その生徒が

「こんな酷い言葉、私は人には絶対言わないんだ!」

 そう思って恩師を反面教師にできたなら、恩師の想いは読み取れていなくとも、教えは正しく読み取っている。

 もしも、「なるべく傷つけない」やり方で「やる気を出させてあげる」だけの教育しか受けない環境で育ったら。
 罵倒される痛みを知らぬまま社会に出て、初めて真の心ない罵倒を受けたとき。
 自分で立ち上がる術も力も知らなくて途方に暮れてしまうかもしれない。

 そのとき「もっと厳しいことも教えてくれたら良かったのに」と言われる可能性もあるのだ。


 私が「死ね!」という恩師から学んだことは、

 罵倒の言葉で傷つけられても己の力で立ち上がる精神力
 そして、己の正義と信念を貫く強い生き様


 恩師のやり方が一番正しいとは言いません。

 むしろ、恩師のような人は、学校に一人いればいい。
 全ての教師が恩師のようになってしまったら、生徒はきっとうつ病になってしまう。

 だから観月は、乙武氏のような教師も必要だと思っています。
 厳しい、キツイ言葉を使わずに「なにくそっ!」「見返したる!」という気概を抱かせる。
 それも簡単にできることではないから、それができる人を心から尊敬します。

 正しいことは、一つでなくていい。
 正しいことは、人の数だけあっていい。

 自分にとって「一番正しいこと」はあったとしても、それが他人にとって「一番正しい」とは限らないのだから。


 全てを納得してくれなくてもいい。共感も賛同も要らない。
 ただ『知って』ほしかった。

 恩師と私の信頼関係は、「死ね!」という下種の言葉から始まったのだ。

 恩師の生徒にかけた言葉は下種だったとしても
 恩師の教育への情熱と、恩師から学んだことと、その信頼関係は、下種でも軽蔑されるものでもないと、私は信じている。


「この言葉は誰かが傷つくかもしれないから配慮してほしい」

 と、傷つく人の気持ちを思いやる心があるならば、
 その言葉を言った人が、なぜ言ったのか?
 どんな価値観と背景と考えがあって言ったのか?
 それを知って許容する(もしくは受け流す)心もできれば持っていたほうがいいと思う。

 同じ言葉でも、愛を持って言ったのか。悪意を持って言ったのか。
 それを正しく感じとる心を。

 何も、傷つく言葉を言った人のことだけを擁護しているわけではないのです。
 傷ついた人が、いつまでも「許せない」気持ちを持ち続けているのは辛いことだと知っているから。

 観月なら、許せる理由を考えて、探して、見つけたい。
 自分とは相容れなくてもこんな価値観も世の中にはあるのだ、と。

 できている、とは観月も自信を持って言えない。
 受け入れがたい価値観に出会ったことはあるし、きっとまだまだ世の中にはたくさんある。
 だから、それを拒絶したくなる人の気持ちが全くわからないわけじゃない。


 でも観月には、高広氏と乙武氏の価値観、両方から尊敬を見出せる。
 そのキッカケを与えてくれたのは、まぎれもなく恩師がいたから。
 たとえ他人からは、恩師の教育理念そのものが下種に見えたとしても。

 最上級の下種の言葉から、最上級の愛をくれた。

 私は恩師を生涯かけて尊敬します。


※敬体・常体の文が混じっておりますが、その都度自分の想いに適した言葉遣いを表現するため『あえて』そうしました。
 国語的に正しくない文章ですが、小説でも作文でもなく、これは自由な言葉を書き連ねるブログです。
 ご理解を。

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